ニュードコットンニュードクラブインタビュー

5. 日本での綿の工業化における課題 【田中さんにうかがった染織のこと】

なぜ綿が日本では大きな産業にならなかったのか。
日本の気候風土と綿の性質の間にある絶妙なバランス関係。
人間の思惑どおりにはいかないそのわけを、一緒に考えてみます。

田中さん
田中さん

でも、もともと綿は茶色いんですね
茶色っていうか有色。

それはなぜかっていうと
色の中に“タンニン”という成分が入ってるので
土の中にいっても腐らないで一年くらい保つ。

一年経つ頃にその成分がだんだんなくなってきて芽が出る。

田中さん
田中さん

白だと自然では目立ってしまうし
そのタンニンの成分がないのですぐ腐っちゃう。

だけどたまたま白いのができたのを
染めたりするのに使いやすいねっていうことで
人間がどんどん増やした。

羊もそうですよね。
黒だとかグレーだとか、本来はいろんな色があるんですけど
染めたりしやすいので白いのばっかりになってきちゃった。

やなぎ
やなぎ

今年、記録的な大雨だったり
その後すごく暑かったりした影響か
コットンボールが枝についたまんま
綿の中から直接、発芽してしまった
なんていうことを仲間内で聞きました。

それも、そのタンニンの保護がない
白い綿だから起こりやすいんですね。

コットンボールから発芽して育ったら大変なことになる!(やなぎ画)
田中さん
田中さん

はい。
海外から来た洋綿と言われてるものは
日本の気候に合ってないので
ちょっと寒かったりすると
割れなかったとか種ができなかった
っていう変わったことがよくあって

もともとアジアから渡ってきて
日本に根づいた綿だと
多少の変化があってもいつも変わらずたくさん取れる。

超長綿だったりすると
長くやってる中で急に取れなくなっちゃう時もありますね
気候の変化、寒くなるとか雨が降りすぎることがあると
もう「ぱたっ」と取れなくなって。

やなぎ
やなぎ

今年度まさに海島綿(超長綿)の
コットンを育ててるんですけれども
全国軒並み全然、開絮(※)しなかった
っていう話を聞きます。

うちの畑でも、ほんの少ししか取れなかったんですよ。
ほかの種類の洋綿の中には
たくさん開絮してくれたものもあったんですけれど。

※開絮…かいじょ コットンボールがはじけて中の綿が出てくること。

田中さん
田中さん

そもそも日本にない品種だったりすると
そういうことが起きやすいんですね。

やなぎ
やなぎ

逆に、ある年には急に爆発的に取れたり。

安定しないんですね。

田中さん
田中さん

ええ、だからあんまり日本では綿の栽培をして
工業生産をする産業が芽生えることが
なかったっていうことですね。

やなぎ
やなぎ

いま、日本の各地で「綿を育てよう」という動きがある中で
洋綿じゃなくて、もともとその地方で育てられていた
和綿を中心にやろういう方もいて。

効率を重要視したり合理主義的な立場で言うなら
洋綿の方が綿がたくさん取れるし
繊維も長くて細い糸が作れるから
そっち(洋綿)の方がいいじゃないかと考えてしまうんですが
どうして和綿にこだわるんだろう、って思ってたんです。

もちろん文化保護的な意味合いもあるとは思ってたんですけど
“気候に影響されにくい、安定した生産”
っていう大きなメリットがあるんですね。

田中さん
田中さん

そうですね。
ただ(和綿は)工業生産には乗らないんですよね。
それをやるには機械から作っていかなきゃいけなくて。

やってるところもあるんですけど
それが全国的に広まってるかっていうとそうでもないし
あったとしても製品がものすごく高い。

ノーブランドのTシャツがね
ブランド品と同じぐらいの値段しちゃう。

やなぎ
やなぎ

生産量が少ないから。

田中さん
田中さん

そうですね。
最初からやってるところの人は大体
着物の生地を自分のところで作って
自分の周りの人たちとやる
っていうのが基本になっちゃう。

やなぎ
やなぎ

平塚は七夕の町としても知られています。
たなばたって七に夕って書くと思うんですけど
お部屋なんかにある収納のいわゆる「棚」に
機織りの「機」で「棚機(たなばた)」と書くのがもともと。
なぜなら本来は、「棚に着物を作って納める行事」だったから。

っていうのを去年調べて知りまして。
だから僕らもせっかく七夕の町で活動するなら着物を作りたいなと。

牽牛(けんぎゅう)が織姫の羽衣を盗んで隠してしまった過ちを償うために始まったという説がある、七夕の行事。
やなぎ
やなぎ

それこそミス七夕が着る浴衣なんかを
いずれ僕らの育てた綿で
作らせてもらいたいなと思ってました。

田中さん
田中さん

むかし平塚とか伊勢原とかで
綿が作られてたことがあるんですけど
綿は作っても機を織ってるっていうところはない。

この辺はぜーんぶ一帯的に
シルクの生産のほうが多かったので。

じぶんラボ
じぶんラボ

シルク。そうなんですね!

田中さん
田中さん

厚木もそうですけど昔は平塚とか海老名の方に
そういう紡績工場っていうのがあったんですね。
今はもう全部横浜のシルク会館(※)っていうところに
行っちゃってるんですけど。

昔、自分が子供の頃は
海老名にシルクを紡績するところがあったんですけどね。

この辺はちょっと奥の清川村とか愛川へ行くと
“シルクの里”(※)というふうになってるんですけど
今も作ってるところはもう一軒か二軒くらいしかないですね。

※シルクセンター
…神奈川県横浜市中区山下町の横浜港大さん橋入口近くにある施設

やなぎ
やなぎ

なかなか、産業として成立させて継続するっていうのは
お金がかかるだけでなく、課題が多いですね。

田中さん
田中さん

そうですね
綿は急にぱたっと取れなくなっちゃったりしますしね。
安定してやるんであれば
温室とかっていうふうになってきちゃう。

やなぎ
やなぎ

綿花に冬も越させるっていうお話
以前お会いしたときにちょっと聞かせていただきました。

田中さん
田中さん

はい、海外へ行くと
一年中温暖な気候のところでずっと綿花を生らせて
“木”状態になってるらしいですね。

そこから毎年花が咲いて綿がとれるっていうのを
ずっとやってるっていう。

やなぎ
やなぎ

毎年植えて収穫したら引っこ抜くんじゃなくて
ずっとあったかい環境を作っておいて冬の間も…。

田中さん
田中さん

「あったかい環境を作る」っていうか
そこの土地はそういうのが当たり前なんですね。

日本では一年草って思われてるものが
海外に行くと多年草だよっていうケースは
ハーブのバジルなんかもそうなんですよね。

日本だと毎年毎年種植えなきゃってやるんですけど
海外に行ったら同じ温度なので、
ずっと葉っぱを取り続けられるっていう。

じぶんラボ
じぶんラボ

落葉しないってことですか?

田中さん
田中さん

そうですね。

「5. 日本での綿の工業化における課題」はここまで。
次回の更新では「6.“薬を着る”染色の効果と活用」をお届けします。